安倍内閣の「集団的自衛権」の嘘

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      弁護士 新穂 正俊
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 安倍内閣のいう「集団的自衛権」は自衛権とは言えない
 
 皆さんは、集団的自衛権とは何かという場合に、以下の定義若しくは、これに類する定義だと思われるでしょう。すなわち、
集団的自衛権とは、基本的に「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」(国際法辞典)であるというような内容です。国際司法裁判所においてさえ、大体これと同じ定義をしています。
ここで、重要なことは、集団的自衛権の主体は武力攻撃を受けいてる国ではなく、その攻撃に対し武力攻撃を受けている国から要請された武力攻撃を受けいていない「第三国」の権利であるとういことです。
皆さんは不思議に思いませんか。「自衛権」を持っているのは、本来「攻撃を受けいてる国」だけのはずです。ところが、全世界で通用している「集団的自衛権」の定義では、何故か、「攻撃を受けていない」「第三国」の権利として議論されているのです。攻撃を受けている国の権利として議論されていないのです
それは何故なのでしょうか。そして、私が、何故、ここで、単に「定義」に過ぎないことについてここで取り上げなければならないかが問題となります。もし、この定義の問題が「言葉の遊び」にすぎなければ、わざわざ、ここで取り上げるようなことはしません。今問題となっている安倍内閣の集団的自衛権の行使容認に対する反対の道具として、極めて重要な意味をもつからこそ、ここで、このことを問題にしています。このことについてご理解頂き、以下の私の意見をお読みください。その際には、次の4つの確認事項のことを、いつも気にかけながら意見を読み進めて頂ければ、何故、私がこのような主張をしているのかを少しでもご理解頂けると思います。
(確認事項)
1 自衛権は、他国から攻撃されている国しか持つことができないということ。攻撃されていな国は絶対に自衛権を持っていないということを確認する必要があります。
2 集団的自衛権は、国際連合憲章(略して国連憲章)51条(後の四項に記載)のみしか根拠(条文)はありません。しかも、その条文では、集団的自衛権も含めて「自衛権」は「固有の権利」(英語に基づく日本語の訳)とされているということです(文言の内容から「攻撃された国」の「固有の権利」と解釈されるはずです。)。
3 安倍内閣が問題としているのは、集団的「自衛権」であり、従来の政府が認めていた個別的「自衛権」と同じように、「自衛権」だから、憲法9条があっても「武力行使できる」ということを前提としているということです。従って、「集団的自衛権」が実は「自衛権」でなければ、憲法9条が許容している武力行使と言えなくなります。まさに「集団的自衛権」の定義が問題となるのです。
4 安倍内閣もこの集団的自衛権の閣議決定をした閣議決定の中で、国連憲章について次のように述べています。すなわち「我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守しながら、」と述べ、国連憲章を遵守するという立場を立っています。国連憲章の規定を守ることを明言していることです。 
 
 
 
 
 一 集団的自衛権の定義-何故問題にするのか
  
 現在、日本では、集団的自衛権の行使が容認できるのかということが重要問題となっています。
 安倍首相は、閣議決定で集団的自衛権の憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使ができるという閣議決定を行うという暴挙を行いました。
おそらく、安倍内閣の支持率が極端に下がるような事態にならない限り、この閣議決定を行うために色々な法律を改正していくこととなるでしょう。
 この決定に反対する人達は、当然抗議行動をとり、国民に対し、この暴挙を止めさせるために宣伝活動もすることと思います。その中心は、当然憲法9条、立憲主義等を根拠とする憲法違反を中心にすえた活動が行われると思います。
 もちろん、この運動も非常に大事ですが、おそらく安倍内閣の支持率が急落でもしなければ、安倍内閣は強気で改正作業をしていくこととなると思われます。何故ならば、安倍内閣は既に、解釈改憲により憲法問題は無くなったという立場に立っているからです。「憲法問題なんか関係ないよ」いうのが安倍内閣の考えです。
 とすれば、私たち集団的自衛権の行使は許されないという立場に立つ者がこれからすることは、一つは、いかに安倍内閣の支持率を下げるかということと、もう一つは、これから述べる集団的自衛権の定義について、内閣が言っている集団的自衛権(実を言うと、国際法学者の間でこれまで、当然と考えられてきた定義が実は、国連憲章の規定を無視した眉唾もので、このような定義はこじつけの解釈によりできたものです)は、本当は集団的「自衛権」ではないということをつきつけ、集団的「自衛権」としての憲法解釈を安倍内閣にさせない(できない)ようにすることを考える必要があります。その道具が安倍内閣も遵守すると言っている国連憲章(51条)(自衛権の規定-後の四項に記載)です。
 何故、このようなことを、言うかと言えば、次のような理由からです。
安倍内閣は、集団的「自衛権」も「自衛権」として、憲法9条で認められているという理由で憲法上容認されているとしています。とすれば、安倍内閣が言う集団的「自衛権」が、「自衛権」でないという結論になれば、憲法9条で認められているとする「自衛権」とは言えなくなるので、さすがに、「自衛権」でない集団的「自衛権」の行使は、憲法9条で認められるとは言えなくなるからです。その場合には、この「集団的自衛権」の行使は、憲法9条で言えば、「国際紛争を解決する手段」としての「戦争」若しくは「武力行使」でしかなくなり、憲法9条違反ということとなります。
 安倍内閣も、「集団的自衛権」が「自衛権」であるからこそ(絶対的前提)、憲法9条に違反しないと言えるのです。「自衛権」と言えなかったら、安倍内閣もさすがに、憲法9条に違反しないとは言えません。安倍内閣が言う集団的「自衛権」が、政府解釈では、憲法9条で認められている「自衛権」ではないということを安倍内閣に突きつけて、「集団的自衛権」の行使は違憲であり、行使できないとをはっきり認めさせる必要があります。このことは、集団的自衛権に基づくいくつもの法律改正が問題とされた時に、これに反対する野党の議員にこのことを理解をしてもらい、大いに利用して国会で追及してもらうのです。国連憲章を遵守すると明言している安倍内閣に国連憲章51条のもとでは、安倍内閣が言う集団的自衛権は決して「自衛権とは言えない」ことを、明らかにし、つきつけるのです。国連憲章51条は、安倍内閣の言う集団的自衛権を肯定する根拠ではなく、否定する根拠であることをつきつけ、閣議決定で明言した国連憲章を遵守するということを守れと詰め寄るのです。以下に、このことについて述べていくこととします。

 
 二 安倍内閣のいう「集団的自衛権」
 
 平成26年7 月1 日国家安全保障会議決定閣議決定 では
 
 その3項において、
「憲法第9 条の下で許容される自衛の措置」という項目を設定し、その(3)において、
「・・・我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生しこれにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。」
としています。
 これが、まさに、安倍内閣が言う「集団的自衛権」です。
 まさに、集団的「自衛権」(自衛のための措置)として、憲法上許容されるとしています。
 しかし、この「自衛権」の内容は、あくまでも「他国が武力攻撃を受けた場合」、「日本が武力攻撃を受けていないのに」、他国に対する武力攻撃を直接の原因として、他国の防衛(他国の防衛ができれば日本の安全が守れるとするものです。)のために、日本」が「第三国に対し」「武力攻撃」をすることを認めるものです。
 重要なのは、安倍内閣のいう「集団的自衛権」は、冒頭の確認事項の1として確認した「攻撃された国の権利」ではない権利を自衛権
と言っているのです。まさに「自衛権ではないこと」が明らかになっています。
 
 三 安倍内閣において集団的自衛権を憲法9条が容認する前提事項-個別的自衛権
  
 この閣議決定では、この論理を認める前提として、3項の(2)で、
「憲法第9 条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。」←(個別的自衛権があること)
として、「自衛権」があることを認め(「自衛の措置」としています)、
この場合には、これまでの政府の「自衛権」の基本的論理は、
「・・・、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9 条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であ」
るとし、
「この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。」←(個別的自衛権についての解釈
とした上で、
さらに加えて前項で述べた「集団的自衛権」も、前記の「個別的自衛権」と同等のものであり、憲法上許容されるという結論に達しています。
 
  国連憲章51条の自衛権の規定-集団的自衛権の根拠となる唯一の規定
 
 既に述べているように、この閣議決定では国連憲章を遵守する」と明言しています。まず冒頭の項の確認事項の2を思い出してください(思い出せなければ、戻って確認してください)。集団的自衛権の根拠は国連憲章51条しかありません。このことは、ほぼ異論がないはずです。ちなみに、国際司法裁判所は、慣習法上の「集団的自衛権」があるとしていますが、その根拠も国連憲章51条の規定の「固有の」という文言があることを根拠としています。いずれにしても、国連憲章51条がなければ、出てこない概念です。
 もし、唯一の根拠である国連憲章51条に規定されている集団的自衛権が、安倍内閣がいう「集団的自衛権」とは異なる概念(もの)であれば、当然安倍内閣の言う「集団的自衛権」を「自衛権」とすることはできないということです。「自衛権」とは言えないということです
そこで、ここで、国連憲章51条の規定を見ることとします。国連憲章51条には、次のように自衛権について規定しています。そこでは、個別的自衛権と共に集団的自衛権が認められています。どのようなものか確認することとします。

 「51条 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛固有の権利を害するものではない。」

 五 国連憲章51条の規定による集団的自衛権とは
  
  ここでは、集団的自衛権について、国連加盟国に「武力攻撃が発生した場合には」「安全保障理事会が・・・・・とるまでの間」「個別的又は集団的自衛の固有の権利を」「害するものではない」と規定しています。「集団的自衛権」も「固有の権利」だとしています。なお、この訳は英語に基づく日本語の訳であり、国連の公用語で「固有の権利」というのは、各国の言葉に基づいて日本語訳をすると次のような訳語になります。中国語では、「自然の権利」、仏語では「自然権」、スペイン語では、「内在的な権利」、ロシア語では「譲渡できない権利」(アラビア語では不明)となっています。
 ということは、国際法学者や国際司法裁判所がいう「集団的自衛権」は、「攻撃を受けた国から」「要請を受けて」(国際司法裁判所も要請があることが前提としています)、その国を援助をする「第三国」の武力行使ですから、国連憲章上の集団的自衛権ではないことは明らかです。
 「固有の権利」でなはないし、「自然権」でもなし、「内在的な権利」でもないし、「譲渡できない権利」でもない。「固有の権利」にしても「自然権」にしても「内在的な権利」にしても、いずれも、もともと有している「自衛権」ということになり、「自衛権」をもともと有しているのは、「攻撃を受けている国」以外にはありえません攻撃されていない第三国が攻撃されている国の自衛権をもともと有しているということはありえません国際法の学者がほとんど一致して「集団的自衛権」として定義している第三国の「集団的自衛権」という「自衛権」は、国連憲章51条に規定された「集団的自衛権」でないこととなります。 
 何故、この権利が、国際法学者の中で、前出の「国際法辞典」で述べたような集団的自衛権の定義になったのかは明らかではありません(強くこの規定を置くことを主張したアメリカの国際法学者が、おそらく他国を武力攻撃する根拠に使えるということで、アメリカの使い勝手を良くするために発案したものと一応考えられると私は思っていますが)。国連憲章51条の集団的自衛権は、もちろん安倍内閣が言うような「集団的自衛権」でないことも明らかです。違うとしか解釈できないものです。もし、前出の「国際辞典」で述べたような定義の解釈ができるというのなら、51条の規定に基づいて論理的に説明してもらう必要があります。しかし、それはまず無理としか言えません。
 そもそも、「自衛権」と言う場合に、攻撃を受けていない国を前提に「自衛権」を考えることはできません。「攻撃を受けている国がもつ権利だからこそ」「自衛権」と言うことができるのです。そしてそのような権利だからこそ「固有の権利」であり、「自然権」であり、「内在的な権利」、「譲渡できない権利」(自衛権は論理上攻撃を受けていない国に譲渡できるはずのない権利です)と言えるのです。
 ちなみに、国連憲章51条の「集団的自衛権」は攻撃を受けている国が防衛同盟などを締結している国等に、他国の攻撃から、自分の国を守ってくださいという要請をできる権利(本来なら他国を紛争に巻き込めると言えるかどうか自体問題となるはずです)と解すべきであり、その範囲で国連憲章51条が「自衛権」と認めたと考えるべきでしょう。そして、要請を受けた国は、自衛権と同じ厳しい要件で、しかも、その国を守るために武力行使をした場合には その武力行使の「違法性が阻却される」という集団的自衛権の反射的効果を受けるに過ぎないということです。第三国の武力行使までが全て「自衛権」になるわけではないというのは、「自衛権」という定義からも明らかだと考えますし、それ以外に考えようはありません。
 六 安倍内閣のいう「集団的自衛権」は、憲章51条の集団的自衛権ではない
 
 以上のように、安倍内閣が言う集団的自衛権は、「集団的自衛権」の唯一の根拠条文である国連憲章51条に基づく自衛権ではないことが明らかになりました。ということは、国連憲章51条の自衛権でない以上、安倍内閣の言う集団的自衛権は、「自衛権」とは言えないということです。

  七 閣議決定で国連憲章を遵守すると明言していること-集団的自衛権と言えないこと
                          
 六項及び七項で、安倍内閣の言う集団的自衛権は、国連憲章51条から、集団的「自衛権」と言えないことが明らかになりました。安倍内閣は閣議決定で国連憲章を遵守すると言った以上、安倍内閣がいう「集団的自衛権」は、「自衛権」とは言えないということを、安倍内閣は、認めなければならない地位にあります。
 
 八 結論-今回の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は無効
 
 安倍内閣の閣議決定による集団的自衛権についての憲法9条の解釈ではこの集団的自衛権が、「自衛権」であることを当然の前提としています。しかし、安倍内閣がいう集団的自衛権は名前は「自衛権」でも、本質は「自衛権」でないことはすでに述べたとおりです。従って、これまでの政府が「憲法9条」で認められているとしている自衛権とは言えないので、安倍内閣の「集団的自衛権の行使を容認」する閣議決定は、根拠のない閣議決定ということとなります。この行使容認の閣議決定は、国連憲章上の自衛権の行使とは認められない以上、集団的自衛権の行使として容認された武力の行使は国連憲章に違反し、また憲法9条にも違反することとなり、無効と言わざるを得ません。
  私は、多くの国民に安倍内閣のいう集団的自衛権が本当は自衛権ではないこと、従って、憲法9条の解釈において、自衛権として安倍内閣がいう集団的自衛権の行使は9条に違反し許されないということを知ってもらう必要があると考えます。もし、安倍内閣が前記の無効な閣議決定に基づき集団的自衛権を行使できるように法律の改正をする時には、国民が口をそろえて、閣議決定は無効であり、改正はできないということを訴え、また、もしそれでも強行しようとする場合には、違法で不誠実な行為をしているとして、徹底的に批判する声を挙げる必要があります。国民の中にこのような声が一斉に上がれば、安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認したことを前提とする法律改正はできません。
 そしてさらに、国会において、野党の議員や、若しくは、自民党や公明党の中で、今回の閣議決定は間違っているというふうに考えている議員が、この法律改正の中で、上記のことを指摘して、違法かつ違憲な法律改正はできないことを一致して突きつければ、安倍内閣の閣議決定には根拠はないのですから、十分にそれを阻止することができるはずだと考えます。
  まずは、多くの国民が以上の事実を知ること、そして声を挙げること、さらに野党の議員はマスコミも巻き込みながら、国会の審議の中で、閣議決定の集団的自衛権が国連憲章にいう自衛権には当たらないこと、従って、憲法9条においてこれまでの政府が認めてい自衛権にも該当しないので、この行使は、憲法9条違反になることを、一つずつ突きつけていきましょう。皆さんが共闘できれば、閣議決定を覆すだけの根拠はあるのですから、必ず、何とかなるはずです。頑張って閣議決定を撤回させましょう。
 
                                                            以上